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加藤眞由儒

銭神さまからのお誘い「聖神社」

更新日:11月8日

「埼玉県に桜の名所を作ろう」をスローガンに10年の歳月をかけて昭和54年に完成した美の山公園が、埼玉県秩父市と皆野町にまたがる蓑山にあります。蓑山は標高581.5メートルで、秩父の山にしては珍しい独立峰です。独立峰とは山脈を形成せずに単独で山となっているもので、言わずと知れた富士山や、御嶽山、羊蹄山、桜島と名勝揃いです。蓑山は人の手により観光地として生まれた珍しい山です。また都心からいちばん近い雲海スポットとして最近ではツアーが組まれるほど人気になっています。


蓑山の頂上付近は「美の山公園」として整備された環境庁指定の国民休養地になっています。そんな美の山公園に紫陽花を見にいこうと思ったのはネットで秩父の紫陽花の見どころを調べたからです。


長瀞から秩父に向かう県道140号線の途中、「美の山入口」の交差点から入るのですが入口が複雑で1度はキャンプ場のある山に向かってしまったほどです。そこから7キロほどの急斜面を車で20分かけて登っていきます。まさか587メートルを一気に駆け上がる事になるとは思ってもいなかったので焦りました。「美の山公園」と言うワードと独立峰の蓑山が結びつかなかったからです。もっと平地にある整備された公園をイメージしていました。山頂近くにある駐車場に車を停めて歩いたのですが山頂展望台までは斜面になっているので周りの様子がわからず、山頂に着いて初めて全体の景色を見る事になるわけです。あまりの絶景に息を飲みました。秩父盆地を一望できるここからの眺めは「日本の夜景100選」に選ばれ、早朝には雲海も見られます。左手には秩父神社でも有名な武甲山(ぶこうざん)、そして右手には日本百名山のひとつ「両神山」(りょうかみさん)が見えます。昼間は盆地からの山々、夜には夜景、そして早朝には雲海。寝ている間もないくらい見どころ満載の景色が広がっています。しかも斜面には冒頭でお知らせしたように桜が8,000本、ツツジ紫陽花が約3,500本、秋には紅葉と年中無休で楽しめるのです。紫陽花は6月に入り急に辺りで目を惹く花です。しかし美の山公園の紫陽花は満開も遅く2週間ほど後、6月の下旬から7月上旬になります。お邪魔した時は3分咲きほどで、白い蕾にところどころ青や紫の色をつけていました。満開になったらさぞかし綺麗だろうと想像すると同時に、来る時の対向車にすれ違うのも一苦労の狭い道を思えばまだ人気の少ない平日で良かったと思い直しました。



日本山岳協会や西武鉄道のホームページでは登山やハイキングコースとして有名であると記述されています。どちらも秩父鉄道の駅から出発到着するのでお子様連れの登山にもおすすめとの事でした。秩父鉄道「親鼻駅」(おやはなえき)から出発して同「和銅黒谷駅」(わどうくろたにえき)に到着する3時間弱のコースです。


「親鼻駅」を出発して、秩父十三仏霊場の一つ「萬福寺」に寄り、ツツジ群落や紫陽花園地を通り山頂展望台に到着します。下山しながら目にするのは、日本で始めて自然銅が発見さた歴史上名高い「和銅遺跡」です。その後お金に不自由しないと伝えられている銭神さまが祀られているパワースポット「聖神社」(ひじりじんじゃ)に参拝してから「和銅黒谷駅」に到着するルートです。前半に秩父の自然を満喫して、帰り道に歴史的発掘場所やパワースポットを堪能するものです。


今回この聖神社に参拝させていただきました。

元々「和銅」と言う地名はよく行く温泉宿の名前にちなんでいたので存じておりました。

和銅の地名も知ってはいましたがその歴史までは調べていませんでした。

元々秩父は源泉温度の低い「鉱泉」が多い地域で、そのうち特定の7つを「秩父7湯」と呼んでいたそうです。選定は江戸時代に行われてそのうち現存するのは3つで、替わりに和銅鉱泉、不動の湯温泉が入る場合もあるそうです。

そうしてその「和銅鉱泉」に時々お邪魔しておりました。秩父七湯のうち最も古い歴史を持つ和銅鉱泉旅館の薬師の湯です。横瀬側を眺める部屋に宿泊するのが特に好きでした。

旅館に名付けられている「和どう」が和銅遺跡からきているのを知ったのはつい最近の事でした。

近くの神社をネット検索しているとお金の神さまをお祀りしている神社がある事を知り、今回初めて参拝させていただきました。


西暦708年(慶雲5年)武蔵野国秩父郡から日本で初めての高純度の自然銅(ニギアカガネ、和銅)が産出され郡司を通じて朝廷に献上されました。喜んだ朝廷は同日年号を「和銅」と改元し、和同開珎を鋳造させました。その和銅の発見地周辺に神籬(ひもろぎ)を建てこの自然銅をご神体として、鉱山の神さまである金山彦の命(かなやまひこのみこと)を祀ったとされています。その後採掘された和銅13の塊りを安置し、金山彦の命(かなやまひこのみこと)と国常立尊(くにのとこたちのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、神武天皇(じんむてんのう) の四柱を御神体とし、当時の元明天皇を元明金命(げんめいこがねのみこと)として合祀し、賜り物の銅製のムカデ雌雄一体を納めたのが始まりと言われています。


駐車場に車を停めて参道に向かうと鳥居の周りには黄色の登りが立ち並んでいました。少し狭い石畳を登ると本殿が目の前に現れます。右側に日本初の流通貨幣「和同開珎」のモニュメントが祀られています。

1963年に社殿を秩父市中町の今宮神社(いまみやじんじゃ)本殿から移築改修した事から、旧社殿は左に移され大国主命を祀る和銅出雲神社として奉斎されています。現社殿は前面の屋根を長く伸ばした「流造」(ながれづくり)の本殿と入母屋造りの礼拝殿からなり銅葺きの造りでした。江戸中期(1709〜10年の建築で大宮郷の工匠、大曽根兵衛によって建立されました。彫刻は桃山期の遺風を僅かに残した活気に満ちたものです。秩父市指定有形文化財となっているそうです。

また境内の宝物殿には和銅石二個と雌雄一対の銅製のムカデが奉納されており、また「雨乞い簓」(あまごいささら)と呼ばれた黒谷の獅子舞は聖神社の大祭に奉納され、各地に招かれ披露しています。獅子頭は「鉱物館」に保存展示されているそうです。

参拝させていただいた時、いや聖神社の境内にお邪魔した時から徐々に頭がジンジンと鉢巻を巻いたような感覚が現れてきました。直接私の頭部にエネルギーが注がれるような様子で、まるで銭神さまがお優しく語りかけてくださるようでした。

また聖神社では直接神さまが私に意識を向けてくださいました。

神さまは宇宙全体に存在していらっしゃり、意識が神社に向いていらっしゃいます。その話はまた勉強会の時にでもさせていただきたいと思っております。



そしてこの記事を書いて1週間ほど経ったある日の事です。夕食を摂り事務所のテーブルでぼんやりしていた時に不意に聖神社の神様からメッセージをいただきました。

「私の神社は日本で初めて銅を採掘した縁起の良いところです。神社の先には採掘した場所があるのでぜひまたお越しなさい」と言うものでした。

私は驚きの中にも嬉しさを感じました。

参拝させていただいた神さまからまたお越しなさいとお声をかけていただくことは初めてだったからです。

すぐにでも飛んでいきたいところでしたがスケジュールの都合をつけ翌々週の休みに再び聖神社を再訪しました。天気予報では前日まで雨の予報でしたが、その日は朝から雲間から青空が覗き、聖神社に着く頃には太陽が照りつけ暑い夏空となっていました。梅雨明け前とは思えない陽気でした。

しかも帰りの高速道路は雨のため速度を落とす注意喚起があったにも関わらず一度も濡れる事はなく自宅に帰り着きました。

鹿島神宮に続きここでも神さまのお力と歓迎の想いを知ることとなるのです。


聖神社は階段のみの参道で幅も狭く秩父神社よりさらにコンパクトな造りになっています。それでも「銭神さま」のお力を求めてこの日も平日にも関わらず参拝客は絶えることなく続いていました。

私は聖神社の神さまと再訪をお約束していましたので歓迎の意識全開で迎えられました。前回はいらっしゃらなかった神職の方からありがたく直接お守りを手渡される事になったのです。たくさんあるお守りの中から適切なものを選ぶときまで気を配っていただきただ感謝の一言でした。

その後献上和銅の産出場所である「和銅露天掘り跡」に向かったのですが、はじめは車で向かうつもりの私たちに大々的な道路拡張工事の様子を見せ徒歩で向かわせてくださったのです。なぜならその場に駐車場はなく確かに徒歩でしか参拝できないようになっていました。聖神社から10分ほど歩いているうちに周りの長閑な景色はさらに原生の自然となり山道を歩いている私は当時にタイムスリップしていく感じを受けました。それにしても、なぜここに銅が産出されると思い掘り続けていたのか。案内看板の一つに「銅が産出される特有の植物と言われる『花筏(はないかだ)』が和銅山にある」と言う記述で納得しました。車が通れる道はけもの道と変わっていき、案内板がなければ到底辿り着く事もできない山の中です。


そこの案内板の一つに何十年いやまるで何百年も生き続けているような老猫がいて、これは聖神社の神さまの使いだと直感しました。神さまの使いについては弥彦神社の雀で体験済みです。

猫を見つけると必ず「シャー!」と威嚇する秘書が相変わらずシャーシャー言っているので慌てて止めました。

猫さんは秘書の威嚇を全く無視して威厳を持ちながらその場に佇み露天掘り跡方面に身体を向けて案内していました。


私たちは気を取り直して山道を降りていきました。少しの広場に聖神社と同じ和同開珎のモニュメントがあり、その近くの沢に「和同露天掘り跡」が1,300年前当時の面影のまま残っていました。そう言えば道の途中、道路工事案内のおじさんに「沢で小銭を洗ってそのお金を聖神社に戻ってお賽銭にすると宝くじに当たるよ」と言われた言葉を思い出しお賽銭にはせずにお守りにしようと清らかな沢で小銭を洗いました。ここ和銅露天掘り跡はまさしく大自然の中で人間の私欲など関係なくキラキラとパワーを放ち続けているのでした。

帰り道あの猫さんが寝そべって私たちを待っていてくれました。今度は秘書も威嚇する事なく猫さんを撫でておりましたがいわゆる「逆撫で」していてそれに耐えている猫さんをまた慌てて労いました。



その後再び立ち寄った「美の山公園」の紫陽花は満開を迎えていました。前回立ち寄った時のイメージとは少し違って鮮やかな青色中心の緑に映える素敵な色彩でした。前回気がつかなかった展望台から見た秩父市の景色はまさに絶景で、遠くには神の山「武甲山」も聳えています。


帰り道の看板に和銅鉱泉の宿案内があり、久しぶりに秩父七湯で最も古い歴史を持つ薬師の湯で、横瀬川の流れを眺めながらゆっくりと過ごしてみたいと思いました。


世界が平和でありますように。


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