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加藤眞由儒

金刀比羅宮(ことひらぐう)

更新日:2023年3月24日

昨年無事に還暦を迎える事ができてこれからの時間をどう過ごしていくかを考えた時に、まず最初に頭に浮かんだのは前述した通りご相談者様のこれからです。この先も順調な人生を歩んでいただけるだろうか、大病などされないだろうか、心配は尽きることがありません。有難いことに親子に亘って、さらには親子三代に亘ってご相談にお越しいただくご家族も多くいらっしゃいまして、幼少の頃事務所を無邪気に走り回っていたお子様が逞しく美しく成長され進学就職され、愛するパートナーと出逢われる様子を拝見するにあたり、それこそ我が子のように眩しく愛おしく感じております。


みなさまに少しでも霊や魂のお話をさせていただいて生きることの意味や素晴らしさ、他に対する慈しみの心をご自身で気づいていただける一助になればと願っております。



もう一つが日本各地の神さま仏さまにご挨拶に赴くことです。昨年夏間神社さまにお声をかけていただいた事をきっかけに様々な神社仏閣を訪れるようになりました。


年齢を考えると脚の動く今のうちにできるだけたくさんの神さま仏さまににご挨拶をし、日本を護ってくださっている感謝を述べ、この先の安泰を祈念しようと思い立ちました。


また私は神さま仏さまの歴史についてまだ詳しく存じているわけではありませんので、識者の方にもご意見をお聞きして一生涯の勉強にさせていただこうと思っております。



前置きが長くなりましたが、2023年2月に香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)にお詣りさせていただきました。


庶民が気軽に旅行することができなかった江戸時代、神仏への参拝は例外として認められていたため遠方の神社仏閣へ出かけることが生涯の楽しみの一つであったそうです。1番の人気は「お伊勢参り」と呼ばれた三重県の伊勢神宮、そしてそれに次ぐのが「こんぴらさん」で親しまれていた香川県の金刀比羅宮です。


私にとっては初参拝になるわけですが、やはり本宮まで785段、奥社まで1368段にもなる石段の参道です。足腰が丈夫な今でなければ参拝できないと思いたったわけです。


それにしてもなぜ「金刀比羅」「金毘羅」と名称が異なっているのでしょうか。


色々な説がありますが、明治初めに起こった「廃仏毀釈」により神仏一体だった松尾寺を切り離し神社として独立させたため、日本風の訓読みができる「金刀比羅宮」にしたと言うのが一説のようです。



元々は「こんぴらさん」として信仰を集めていた「象頭山金光院松尾寺金毘羅大権現」(ぞうずさんこんこういんまつおじこんぴらだいごんげん)であったそうです。金毘羅は仏教の守護神で古代インド語でワニを意味する「クンビーラ」からきているそうです。


私も子供の頃によく聞いたお民謡「金比羅船船(こんぴらふねふね)」の歌詞



金毘羅船々、追手に帆かけてシュラシュシュシュ。


周れば四国は讃州那珂の郡、象頭山金毘羅大権現、一度周れば。



に出てくるのが金毘羅大権現です。携帯の地図上では松尾寺も近くに存在しているようです。



2月の中旬、私たちは新幹線で新神戸まで行きそこからレンタカーで明石海峡大橋を渡り、淡路島を横断して鳴門まで一気に足を運びました。翌朝身を清めてから琴平町の駐車場に車を停めました。周りには土産物屋さんがひしめいておりその駐車場もお土産物屋さんの運営でした。やはり町をあげて観光に力を入れているのを感じました。その後私たちは名物のこんぴらうどんを食べました。入り口で大きな大黒さまが出迎えて下さいました。胡座をかいてこんぴらうどんを美味しそうに召し上がっていて思わず笑みが込み上げてきました。大黒さまのお好きな姿は溢れんばかりの笑顔を湛えたものでありこのお店の大黒さまはとても気に入っていらっしゃるそうです。この旅を見守っていますよと合図を送ってくださいました。こんぴらうどんは東京で食べるものよりツヤツヤと輝きコシもあり特製の醤油ダレが絡みやすく食べ応えのある物でした。



ひと時讃岐の味を堪能しその後参道を歩き始めました。参道自体が石段となっておりすでに本宮まで785段のカウントが始まっているようでした。参道の案内図には松尾寺の事は一切描かれておりませんでした。携帯電話のマップを頼りに何とか辿り着きました。なので残念ながらお寺の入り口からではなく横の道から入る形になってしまいました。お寺は静かで私たちの他に参拝客はおらずとても静寂な空気でした。


金刀比羅宮の起源はいくつかありますが、象頭山に大物主命を祀ったのが始まりといわれており、その後仏教と習合して金毘羅大権現になりましたが明治元年の神仏分離令により、同年6月琴平神社に改称し(7月に現在の金刀比羅宮に改称)、主祭神も大物主の神となりました。後にゆかりの深かった崇徳天皇もお祀りし、本宮の奥に白峰神社も建立されました。塔頭の普門院は金刀比羅宮の外にあったために廃寺とはならずに松尾寺を継承していると言われております。松尾寺にあった様々な仏像仏具は処分されましたが、一部は岡山のお寺に安置されているようです。現在の松尾寺に金毘羅大権現さまのお姿を偲ぶものが、最近描かれた鰐の絵として本堂右上に奉納されておりました。私たちはそこでご挨拶をした後参道に戻りました。



途中土産物屋のある石段を登りましたが色々なお店を覗いたりしたので少しも苦にはなりませんでした。大門をくぐると金刀比羅宮の境内となります。宝物館や書院、真白の神馬のいる厩を通り本宮に辿り着きました。石段を覆い尽くすほどの大きな屋根を桧皮で葺いているそうです。参拝した際にとても清純な空気を感じました。金刀比羅宮は長い石段を登ることができる体力のある方が全国からたくさんやってきます。


健康な方のポジティブな気持ちがこの石段を登ることで増幅され幸福の連鎖を産んでいます。参道のポスターにも「しあわせさん、こんぴらさん」と銘打っており「幸せの黄色いお守り」を授かることもできます。



本宮を後にした後に別道を降り旭社を参拝しました。その際に南方向から北に向かって物凄いエネルギーを感じました。


そこは神仏分離令前の松尾寺の金堂だったそうです。そこには遥か昔から金毘羅大権現さまのパワーが渦巻いており、またこの四国自体に特別な気がある事、さらには太平洋の方面からも気が流れ込んできて強力なパワーを発しておりました。その強さは本宮をも上回る程でした。



ここで私からのアドバイスです。パワーを充分に身体に満たすには、ある程度の時間その場に留まる事が大切です。人間の身体も携帯電話の充電と同じで、すぐに立ち去ってしまうと充電不足のまま後にする事になります。椅子など休む場所があったらそちらで。なければ大木などの近くに身を寄せて時を過ごしましょう。きっと身体いっぱいのエネルギーを充電できるはずです。



その後私たちは近くにある眺めのいい喫茶店でひと息入れました。


その日は雨模様で視界も霧のためあまり良くありませんでしたが、私たちは金毘羅大権現さまや大物主さまをはじめとした神さま、四国自体のパワーを受け晴れ晴れとした気持ちでその場を後にしました。


起源や歴史は諸説ありスッキリしない感じです。色々な思いが交差して複雑に絡み合っております。しかしこの本宮まで785段奥社まで1368段の石段は訪れる人々に幸せパワーを与え続けています。


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