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加藤眞由儒

武蔵一宮氷川神社

川口周辺には氷川神社が数多くあります。

地図を眺めていると7社ほどあります。お隣の戸田市にも3社、都内には赤坂氷川神社や池袋氷川神社と無数にあります。それでは氷川神社の総本山はどこかと言いますと、さいたま市にある「大宮氷川神社」になります。

 

「【氷川神社】(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目にある神社。式内社、武蔵国一宮を称する勅祭社(ちょくさいしゃ-祭祀に際して天皇より勅使が遣わされる神社)。宮中の四方拝で遥拝される神社のひとつ。東京都、埼玉県周辺に約280社ある氷川神社の総本社である。ほかの氷川神社と区別する際は(大宮氷川神社)とも呼ばれる」(Wikipediaより)

 

なぜ氷川神社と呼ばれるのかは大宮氷川神社HPにこう記されています。「一つは出雲の大河である斐伊川(ひいかわ)に因むと言うもの。もう一つは神社の鎮座地(高鼻)が古代からの湧水地で、古語で霊験あらたかな泉を表す氷川が社名となったものです」(大宮氷川神社HPより)

 

出雲と関係があるとは驚きですが、一説によると氷川神社は出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造(東京、埼玉、神奈川の一部を治める豪族)となり奉斎した社と言われています。埼玉県には出雲族による創設と言われている神社が多く、以前参拝させていただいた関東最古の神社と言われている鷲宮神社(県内に60社)や、出雲大神を祀る久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)(54社)があり、氷川神社の204社を合わせると実に318もの出雲系の神社が存在する事になります。

他にも足利で参拝させていただいた出雲神社や、朝霞市には出雲大社の埼玉分院まであります。

秘書の先祖は出雲出身ですが、大国主命、すなわち大国様がこの地で顕現されたのも何となく腑に落ちるのです。

ところで、この埼玉県の一ノ宮(地域の中で最も社格の高い神社)である大宮氷川神社ですが、古来より三社あると言われ、「三室の氷川女體神社」(ひかわにょたいじんじゃ)と「中川の中山神社」(なかやまじんじゃ)を加えた三社が一ノ宮氷川神社と伝えられています。一説によるとこの三社は元々は同じ境内に建つ社であったのではないかと考えられているそうです。現在では1番北の大宮氷川神社と南の氷川女體神社の距離は約7キロありますが、はるか昔には大きな湖沼が広がっていたのでそれぞれの陸地にお参りできる祠が作られていたとも言われています。「御沼」と呼ばれていた湖沼は昔から神聖な龍神が棲むと言われてきました。現在大宮氷川神社の境内にある神池はこの御沼の名残と言われていて、湧水の源流が社殿の西側にあり、これまで禁足地であった「蛇の池」が参拝できるようになると、知られざるパワースポットとして脚光を浴び始めています。



またこの三社は地図上では一直線に並ぶレイラインを構成していると言われています。すなわち、太陽は夏至に西北西の大宮氷川神社に沈み、冬至に東南東の氷川女體神社から登るのです。

元々龍神を祀った神社に出雲の神様をお祀りしている事で三社合わせて強力なパワースポットとなっています。

また日本郵船の「氷川丸」の船名は氷川神社からとられたそうです。エントランスロビーの手すりには氷川神社の神紋である八雲紋が入っています。

さらには大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦である「戦艦武蔵」の竣工式には6名の神職が広島まで出向し、館内神社には氷川神社が分祀されたそうです。

大宮氷川神社の境内には1944年にアメリカ海軍機の攻撃で沈没した戦艦武蔵の碑が建っています。

 

と言うわけで9月の終わりにまずは武蔵一宮大氷川神社に行ってきました。大宮の氷川神社には子どもの頃から何度も足を運んでいますが、なぜかいい思い出がありません。参拝させていただくたびに頭が痛くなったり、体調が悪くなることが多いのです。秘書の友人は3年連続おみくじで凶を引き、4年目で母親を亡くしました。なので少し怖いと言うイメージもあります。

 

氷川神社の一の鳥居は遥か遠く、お隣のさいたま新都心駅近くにあり、そこから2キロほどの参道となっています。車道は細く慢性的に渋滞しています。やっとの思いで駐車場に停めました。

やはり池があるためか少し暗い感じがしましたが、今回は体の不調は感じませんでした。やはりご祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御厚意でしょうか。

「よくいらっしゃいました。ここはトイレがあまり綺麗ではなく、いらっしゃる方には申し訳なく思っています」と恐縮されていました。

やはり武蔵一宮を名乗るだけあって、広い敷地に重厚感のある建物が配置されています。赤い柱と白い壁、緑屋根の楼門は以前参拝させていただいた春日大社を思わせるものでした。



楼門を潜ると中央に神賑行事が行われる舞殿が美しい姿を見せています。その奥には拝殿があります。逆にシンプルな色合いで落ち着いて威厳のある佇まいです。

久しぶりの参拝をお詫びし、平和を祈念させていただきました。



それから1ヶ月余り経った11月初めに、東浦和駅から約3キロの、武蔵一ノ宮「氷川女體神社」(ひかわにょたいじんじゃ)に参拝させていただきました。何やら不思議な名前ですが、ご祭神が素戔嗚尊の奥様である奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)だと伺って納得しました。氷川女體神社は見沼区氷川公園に隣接しております。専用の駐車場はありませんが、公園の駐車場を利用されてもいいかも知れません。階段を登ると赤い鳥居がありました。鳥居や拝殿にも「武蔵國一宮」と記されていました。登った途端に大きな龍が出迎えてくださいました。拝殿でご挨拶させていただき、右に進むとやはり「竜神社」がありました。



十四世紀から龍神さまを祭る「御船祭」(みふねまつり)を執り行ってきたそうです。元々は龍神さまをお祭りするパワースポットであったと思われます。またお隣のさいたま市三室(みむろ)には縄文時代の集落跡があり、紀元前4,000年頃は地域の中心的集落であったと思われます。

 遥か古代の研ぎ澄まされた感覚を持った民族と共に龍神さまは時代を超えて地域を守り続けてきたのでしょう。そんな時空を超えたヒーローである龍神さまの歓迎をとてもありがたく思いました。



そしてそのすぐ後に「中山神社」(なかやまじんじゃ)にご挨拶に伺いました。

創建は何と紀元前96年と伝えられ、氷川女體神社と同年と言われています。また1591年、かの徳川家康公から社領15石の朱印を受けたそうです。

さいたま新都心駅から第二産業道路を通り、ひっそりとした小道に建立しています。一の鳥居は道路の反対側にあります。駐車場は小さく何台も停められませんが平日なので何とか停められました。一の鳥居は赤でしたが二の鳥居は落ち着いた木の鳥居です。拝殿は赤い柱がアクセントとなった美しい造りです。



社務所の女性が参拝時間の午後四時を少し過ぎましたが心よく御朱印を分けてくださいました。とてもありがたかったです。ご祭神は大己貴命(おおあななむちのみこと)、つまり大国主命です。

とても控えめで静寂な雰囲気で歓迎してくださいました。裏手にある中山神社旧本殿を参拝させていただいた時にもの凄いパワーを感じました。



大宮氷川神社と言うと、大宮公園にある大きな氷川神社だけと思われがちですが、見沼にある氷川女體神社、そして中山氷川神社もぜひ参拝なさってみてください。元々の龍神様に出雲からの神様のパワーで身も心も清まっていきます。

 

世界が平和でありますように。


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