富士山
- 加藤眞由儒
- 3月1日
- 読了時間: 7分
更新日:3月1日
私が初めて龍神様をきちんと認識したのは今から30年ほど前、富士山の頂上になります。
それ以前に、とても清らかで流れの急な川の辺りで大きな岩をめくったところ、真っ青な龍が5体ほど動いているのを見ました。しかし、その時は龍と言う認識でしたので、龍神様とは異なるものでした。
銀座の事務所に移る前、お客様の代わりに富士山に登り山頂で平和の祈りを捧げると言うご依頼を受けました。
秘書の仕事を頼んだばかりの友人に話したところ、ビックリはしたものの、特に反対もされずにすんなりと日程が決まりました。秘書のあまり物事を深く考えない気楽な性格が私の仕事にはとても合っています。
富士登山にはいくつかのルートがありますが、私たちは最も一般的な吉田ルートと言うのを採用しました。「富士講」と言う富士山信仰の集まりが活発になった江戸時代後期に、富士山の本道とされ多くの登拝者がたどった登山道です。
富士登山の言い伝えはとても古く、飛鳥時代、藤原兼輔が書いた「聖徳太子伝暦」では聖徳太子が甲斐の国から献上された馬に乗り、雲に乗って富士山を駆け登ったと言う内容が記されています。この伝説が元になり、富士山頂の山の一つが「駒ヶ岳」と呼ばれるようになったそうです。また吉田口8号目の山小屋は「太子館」と言う名前をつけています。
続く奈良時代から平安時代にかけては、噴火が相次いでおり、登山に関する記録は残っておりません。
平安時代末期になると修験者が富士山で修行を行うようになり、室町時代には一般の人も登りはじめたと言う事です。江戸時代になると「富士講」と言う宗教ができ、富士山に見立てた「富士塚」が関東各地に造立されたそうです(以上札幌市通運HPより)
地元「川口神社」にも富士塚があり、
「品川神社」の富士塚は結構高い山で、登頂まで何号目と印がありました。
また富士山を神として信仰する「浅間神社」は全国に1,300社あると言われ、その起源は紀元前27年頃に富士山を鎮めるために浅間大神を祀ったこととされていて、富士山麓の浅間神社がその総本宮とされています。
私も秘書も本格的な登山は初めてなので、とりあえず当時事務所のあった池袋にあるアウトドアショップで店員さんにお聞きして、言われるがまま上から下までコーディネートしてもらいました。
確かストックはそれぞれ2本購入したと思います。
当時はまだ2人とも若かったので、特にトレーニングはせず当日を迎えました。
夏の登山期間が終わる9月始め頃だったと思います。
今では新宿から五号目まで直行バスも出ているようですが、当時あったのか覚えてはいません。
中央本線大月駅から富士急行線で河口駅まで行ってそこから登山バスで富士スバルライン五号目に到着しました。山小屋で宿泊し朝方に山頂を目指すのが一般的だそうですが、私たちは夕方登り始めて明け方にご来光を望むと言うハードなスケジュールです。周りを見渡すと色々な人たちが準備をしています。
服装も様々で、中には軽装で半袖姿の人もいました。
期待と不安が入り混じったマラソン大会の出発前のような雰囲気でした。歩き始めてしばらくは割と平坦で普通の丘のような感じでした。暗い夜道でしたが、その時はたくさんの人が数珠繋ぎになって行進していました。どんどん登っていくと、周りの山々が夜空に照らし出さらてとても幻想的な雰囲気です。だんだんと岩の階段となっていき、細い足場で
身体もキツくなってきます。また風も強くなり夏にしては厚着だと思っていた服装でも吹き荒ぶ強風で身体が震えてしまいます。5号目で見かけた半袖で姿の人たちはどうしているでしょうか。

そうこうしているうちに山はガスがかってきて小雨も吹きつけてきました。雨風で体感が下がってきたうえに気圧の変化に伴い胸が苦しくなってきて体調は最悪でした。周りの人たちもひたすら耐えて列を成して登っていきます。
突如として暗闇の中に白い鳥居が浮かんできました。九号目の印の鳥居だそうです。景色もだんだん薄明るくなってきてきて、頂上が近いと思うと少しずつ力が戻ってきました。
ついに山頂にある神社の鳥居と狛犬が出迎えてくださいました。久須士神社です。
【久須士神社(くすしじんじゃ)は富士山の標高3715mに位置する神社。富士登山道の吉田口と須走口側の頂上にあたる。富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の末社であり、「東北奥宮」とも称される】(Wikipediaより)
主祭神は大名牟遅命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなびこなのみこと)です。大名牟遅命は秘書にご縁のある大国主命の別名です。池袋に顕現される前に富士山でご縁をいただいていたと知り今更ながら不思議なご縁に感謝させていただきました。
ご来光を待つ人々で先には進めず暫しその場で待っていました。少しずつ進むうちにご来光が刺してきました。

寒さに耐え気圧の変化に負けずに自分の力で登ってきた分太陽の有り難さをひときわ感じるのでした。山頂は登山者でごった返していました。
私はカレーを食べましたが、とても完食できずに秘書に食べてもらった記憶があります。
ご来光を眺めて持参したポットからお茶を飲む人や、「お鉢巡り」と言って噴火口を1時間以上かけて一周する方など、思い思いに過ごしていました。
その時、神社の中に大きな円のような何かを見ました。輪郭もおぼろげです。神社から出て全体を眺めて驚きました。神社の社殿より大きな目がこちらを凝視していたからです。小さい頃見た怪獣映画では恐怖を演出するために、怪獣の大きな目が主人公をギョロっと射るように見つめる様子が描かれていますが、まさにそのような衝撃が走りました。
神社を出て離れれば離れるほどはっきりと見えてきます。
あまりの顔の大きさにびっくりしました。後ろにはさらに巨大な身体が続いています。金色よりも黄色に近い光を放って、その大きさは乗ろうと思えば背に乗れるほどでした。
その時大きな目が私に焦点を合わせてきたのです。「見つかってしまったか」と悪戯がバレた子どものように言われました。声が聞こえたわけでも表情が崩れたわけでもありませんが、直接心に響いてたのです。私は霊を見かけた時には、いつも気づかない振りをしてやり過ごします。気づいたことを霊が知ってしまうと色々と関わってきて厄介な事になるからです。なのでその時の私は「しまった。気づかれてしまった」と言う思いで、とにかくその場から離れなければと言う一心でした。巨大な身体が今にも追ってきそうだったからです。
秘書はと言うと、もの凄い勢いでカレーを食べた後呑気にトイレに行ってしまいました。
悠々と戻ってくる秘書をせかして下山しました。
秘書にしてみたら、ゆっくり山頂の景色を眺めようかと思った矢先に下山させられて訳が分からなかったと思います。
登山は登りよりも降りの方がキツいとよく言いますが、確かに途中で脚や膝がガクガクしてきました。

しかし、私たちはスピードを緩める事なく走るように下っていきました。そして下山したその足で石和温泉まで行き、目についた温泉宿に宿泊しました。ゆっくりと露天の岩風呂に浸かりながら富士山頂近くの岩肌を思い返しました。龍神様は間違いなく富士山からこの日本を護ってくださっています。その目はとても厳しいものでしたが、全てを見通し慈しみを感じる深い色合いでした。言葉は話しませんでしたが、「大丈夫、きっとうまくいく」と背中を押されたような気がしました。
日本の神社には龍にまつわる言い伝えが多く、神社の本殿にも龍を施した彫刻が多く見られます。
私が神社で龍神様を目にしたのは富士山のあとは、
武蔵国一宮 氷川女體神社(むさしくにいちのみや ひかわにょたいじんじゃ)でした。
今年は龍神様を祀っている神社にも参拝させていただくつもりです。
その時にはきちんと心を通わせて色々とお聞きしたいと思っています。
世界が平和でありますように。