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利尻島

更新日:1月4日

今年の夏も北海道を訪問しました。秘書の実家があるこの地に避暑がてら、30年あまりほぼ毎年伺っています。初めの頃は飛行機と列車で5時間あまりかけて士別の実家まで行き、家の車を借りて道東や道南に一泊して帰ってくるというハードなスケジュールでした。初めての年は士別から野付半島まで300キロ以上を移動しました。混雑している関東からすると100キロの移動でも一苦労ですが、300キロだと名古屋くらいになります。それを早朝に出てホテルのチェックインまでに到着しようとするのですから感覚の違いに驚きます。秘書の父親は「函館くらいなら日帰りで行って帰ってこられるよ」と言い放ちました。検索すると1,000キロ近い距離です。そのような環境で育てられた秘書ですから関東の人間からすると考えられないような思考回路を持ち合わせています。

次の年には稚内まで車で行き、フェリーに乗り換えて礼文島で観光し、さらに利尻島で宿泊しました。利尻島は壮大な利尻富士と咲き誇る高山植物を見るのが好きで何度か訪れていました。

一昨年は稚内まで飛行機で飛び、レンタカーで南下する途中で「サロベツ湿原」と言うとても浄化された気が発生している土地を見つけました。

その時に目にしたのが、利尻山がまるで海に浮かぶ富士山のように見えた幻想的な景色でした。

ならばその利尻島はこの湿原と同じようにパワーがあるのかと、今年は利尻島メインで旅程を組みました。石垣島や宮古島のように羽田から直行便が出ていると便利なのですが、一度千歳空港まで行き、そこから利尻までの運行があるようです。天候によっては飛ばないこともあるそうで、この時ばかりは無事に到着できることを神様にお願いしました。明確な梅雨明け宣言はされておらず、この日も羽田空港では雲が低く立ち込めていました。千歳空港に着いた時もまだ曇り空で、無事に利尻まで飛んで欲しいと祈る気持でしたが、島が見える頃には雲ひとつない晴天となっていました。機内は左右三列ずつの並びでしたが、窓側二席は全て埋まっていました。早い段階で旅行会社が抑えているのか、団体のお客さんが多数を占めていました。

利尻昆布を食べて育つと言われる「エゾバフンウニ」は7月8月と2ヶ月だけの収穫で、その時期に全国各地から観光客が殺到するそうです。今回は島でレンタカーを借りました。以前は自転車を借りて回りましたが、歳と共に体力の低下が顕著となり断念せざるを得ませんでした。もう一つは、絶景と言われている利尻山5号目にある「見返台展望台」に寄ってみたかったのです。



利尻空港は「たんちょう釧路空港」や「出雲縁結び空港」と言ったわかりやすい愛称がつけられているわけでもなく、ごく普通の地方空港です。レストランやコーヒーショップ、土産物屋もありません。空港から乗客のほとんどが団体バスに飲み込まれていきます。残った何組かでマイクロバスに乗り鴛泊フェリーターミナルにあるレンタカー屋さんに向かいました。道すがら、スタッフのお兄さんから「今日は一年で1番いい天気です」「あちらに見える夕日ヶ丘展望台から礼文島に沈む夕陽が見えますよ」と教えてもらいました。フェリーターミナルは何年かぶりに訪れましたが、建物がものすごく立派になっていて驚きました。2014年に完成したそうで、ボーディングブリッジで直接船に乗り込むことができるそうです。利用させていただいたレンタカーは、何と燃料を入れずに返していいと言う太っ腹な対応でした。早速海沿いの一本道を走りました。自分たちの他には車は見当たらず、貸し切り状態でドライブするのがとても気持ちよかったです。どこを走っても利尻山が見える最高のロケーションです。

鴛泊フェリーターミナルから、もう一つのターミナル沓形フェリーターミナルまでの間にある利尻山麓の土地に凄まじいパワーを感じました。やはり人が住んでいないのが原因でしょうか。何よりも驚いたのが利尻富士から気が勢いよく噴き出ていることです。今まで富士山や秩父の一部の山で同じように気が立ち上っているのを見ましたが、すべて真上に上っていました。今回の利尻富士から出る気は出発したフェリーターミナルの方角に向かっています。地図で確認してみると北になります。画面をスクロールしてみるとすぐにロシア連邦を有するユーラシア大陸が迫っています。位置関係を見て、その脅威から利尻島を守っているのだと理解しました。自然が意志を持って自衛する様子を垣間見た気がします。

沓形の街の中に利尻山見返台展望台に向かう案内板があり、そこからはほぼ一本道になっています。対向車用の待避所はありますがそれ以外はとても細い道で、対向車が来ない事を願ってドキドキしながら進みました。展望台の駐車場には2、3台の車が停まっています。駐車場からはかなりハードな登り道で、照りつける日差しの強さと急な山道のため、少し行っては休みの連続でした。突然視界が開けたと思うと、青空を背景に想像より立派な木造の展望台に到達しました。細い登り道がそのまま展望台の階段に続いていて緑の中に聳える巨大な神殿のように感じました。広めの板の間でできた展望スペースからまず目に飛び込んできたのは言葉では言い表せないほど美しい利尻島の海岸線です。



海の表面が広く光っていて、同じ色味の空との境界線になっています。海岸は緑の草で覆われていて、手前に来るほど色が薄くなり、色彩の異なるバームクーヘンのような美しい色の層が出来上がっています。右端には礼文島が北の藍色の海に浮かんでいます。ふと背後に目をやると利尻山の切り立った山頂が熊笹やマツの間から覗いています。



利尻はアイヌ語で高い島を意味する「リィシリ」が語源になったと言われています。昔から利尻山は神聖なる山で、登ると祟りがあると言われていました。和人で最初に登ったのは1792年(寛政4年)ですが山頂までは至らず、1890年(明治24年)に登頂した紀州の行者が山頂に不動明王像を設置したそうです。現在ではその絶景を見ようとたくさんの人が訪れていますが険しい山なので事故も多いようです。岩肌が緑の中から覗かせるその景色は晴れ渡った夏空の中でも寒々しく、畏れを抱かせるものでした。



利尻島のパワースポットから湧き上がってくる浄化された気と霊山利尻山から発せられる神秘的なパワーを身に浴びて、時を経つのを忘れて眺めていました。

宿泊先のホテルは沓形フェリーターミナルの近くにあります。利尻島は鴛泊、沓掛と言ったターミナルの周辺は市街地を形成していますが、その他はほぼ原野のまま現在まできています。ですので原野から見上げる利尻山は何百年前から変わらない景色です。

ホテルにチェックインしてから、屋上に上がり陽が傾きはじめた海と背後に市街地から聳える利尻山をずっと眺めていました。

夕食の時に秘書が「食事が終わったら夕日ヶ丘展望台に行ってくる」と言い出したのでびっくりしました。朝早く起きて飛行機とレンタカーを乗り継ぎ、風呂に入りようやく夕食にありつき、あとは寝るだけだと思っていたので、まさか浴衣を着替えて車で出かけるなんて思ってもみませんでした。親譲りの好奇心と行動力には呆れるばかりです。

私はさっさと部屋に戻りセルフ式で布団を敷き寝転びながらYouTubeを見ていました。しばらくすると秘書から動画が送られてきました。利尻富士から右に移動すると、なだらかな山陵が続き、突然に海の中に落ちていきます。その先には夕陽をまさに受け止めんとしている礼文島が海と空の間に浮かんでいます。とても夏の夕焼けと言ったリゾートの雰囲気は無く、まさに北端離島の日没といった感じで寒々とした空気を感じました。実際に気温は19℃しかなく風に煽られた秘書がガタガタと震えているのが動画から伝わってきました。おまけに展望台はかなりの高さにあり急な坂道を登り、大会からわずか1か月で8キロも太った秘書の息遣いまで聞こえてきました。

寒さと山登りで大変な思いをして動画を送ってくれた苦労を労って、秘書のぶんの布団も敷いてあげました。



翌日は島の反対側を反時計回りにドライブしました。まずは島内で唯一宮司さんが常駐していると言われている「北見富士神社」に参拝しました。港町沓形の小高い丘に建っていて海が見える絶景の場所にあります。享保年間(江戸時代)、沓形港の西の岬に創祀されたと伝えられています。島への移民が増え始めた明治26年、現在の場所に社殿ができたそうです。毎年6月26日、町民が一丸となって参加する大祭では特殊神事「松前塔城奴行列(まつまえとじょうやっこぎょうれつ)」と「四ヶ散米舞(しかさごまい)」が最大の見どころだそうです。

駐車場近辺には遊具もあり、ちょっとした公園になっているようです。鳥居の両側はお城の城壁のような石垣になっています。

鳥居は丸太がひび割れていますが、すごく神秘的で古代から伝わるパワーを感じました。

調べたところ鳥居には大きく2種類あり

古代からの信仰形態を引き継ぐ「神明系(しんめいけい)」と比較的新しく仏教建築の影響を受けた「明神系(みょうじんけい)」に大別できるそうです。最大の特徴は上から2番目の横棒が柱で止まっているのが神明形で、伊勢神宮や靖国神社。突き抜けているが明神系で、代表的なのが春日大社や清水八幡宮、伏見稲荷大社などかあげられます。



ご祭神は大山津見神(おおやまつみのかみ)、木花開耶比賣命(このはなさくやひめのみこと)他七柱です。大国主命や日本武尊などお馴染みのお名前もあり安心しました。大山津見神は伊邪那岐命(いざなぎ)と伊弉冉尊(いざなみ)の間に生まれた自然神で山の総元締と言われています。まさに利尻山にぴったりの神様です。

階段の上に社殿が建っていましたが、小さな島には似合わず立派な神明造りで、千木も綺麗に装飾されています。御朱印はファイルに記名し現金を入れると後日送られてくるシステムになっております。その通りに1週間後くらい後に丁寧に封印された御朱印と御神籤をいただきました。大変有り難く感謝しました。



参拝させていただいた時に、まずは遠くからの訪問を労っていただきましました。そして「島には神社がたくさんあります。私たちは力を合わせて北方の脅威から、また海難や災害から人々を守るために頑張っています」と力強いお言葉をいただきました。調べましたところ1808年(文化5年)、ロシア人による利尻島襲撃事件が起き、商船が焼き払われ島民が捕虜になり、翌年に幕府の命を受け会津藩士252名が北方警備にあたったそうです。そういった経緯から島民の方たちは安全を祈願してたくさんの神社を建立したのかも知れません。その後も真っ赤な鳥居と断崖の先にやはり真っ赤なお社が建立している「北のいつくしま弁天宮」や漁業繁栄を願った「北見神社」などを参拝して、レンタカーを返した後にフェリー乗り場のレストランで念願のウニ丼を頂きました。旅行者の口コミなどを見ると今年は価格が倍近くになっているようです。それでもこの時期限定のバフンウニはとても濃厚でえも言われぬ美味しさでした。その後札幌や千歳空港で食べたウニはすべてムラサキウニであったことを考えればどれだけ貴重であったか思い返されます。

食べながら、このような貴重なウニを朝早くから漁をしている漁師の方の苦労を思いながら、とても気さくで陽気なお店での接待風景と相まって勤勉でいながら擦れていない利尻の人たちが、浄化された気を放ち、神の山を有する利尻でたくさんの神様たちと国土を守る様子に胸が熱くなりました。


世界が平和でありますように。


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